こんにちは、占い師の弥々です。
前回は新宿の占い館で同僚だった「由來先生」こと「あめちゃん先生」のご紹介と、先生の鑑定を受けた私の鑑定結果を、ありのままに書いた感想記事でした。
由來先生は話が面白くて、占い師としての実力もある良い先生と私は思っています。
「肉眼で霊体やオーラ等が普通に視える」タイプの方で、おそらく館内で一番、霊視力が高かった先生なのではないかと思います。
そんな由來先生とお話して印象に残っているのが、占い館内の給湯室で雑談した際の「守護霊」の話でした。
弥々の守護霊はどう視える?二人の占い師による視え方の違い

先生から視ると…私の守護霊って、どんな感じに視えます?
(今まで出会った人達は私の守護霊が視えない人が多かった。
だから霊視力が高い由來先生に一度は聞いてみたかった…!)

守護霊にも性格や性質があって色んな人がいるんですよね~。
…弥々先生の守護霊は凛とした女の人なんですけど、基本的に(必要な事以外は)全然話さないんですよ。
それと…なんか…メッチャクチャ首が長いんですよ;
この「首が長い」というワード、個人的にはとても納得しました。笑
こちらの記事でも書いた通り、同じ館内にいた祈祷師先生も(この人も関西の方)私の背後の存在について話してくれた時がありまして…

弥々先生の後ろには綺麗な真珠色の「白龍」さんがおる。
性別は女の人(※)っぽいな。ただ、ちょっと言いづらいんやけど…
その白龍さん、まるで「戦国武将」の様な性格ってか、性質なんよ。
普段は黙っておるけど、何か事が起こると武士みたいになるで。
筋を通そうとしない奴には「ああん!?」とキレると言うか、容赦ないと言うか…綺麗な見た目して中身は怖いで!
(※厳密に言うと性別ではなく、男性性・女性性といった性質の違い)

へー、そうなんですか!
(…それって、まるで私の性格そのものじゃないか。
もしや「守護霊」は所謂、心の中にいる「もう一人の自分」かも?)
由來先生と話す以前に、祈祷師先生も私の背後の存在について上記の様に言っており、給湯室で由來先生と守護霊の話をしていた時に、この祈祷師先生の話も思い出しました。
そんな事もあって…

首がメッチャ長くて寡黙な女性か~。
そう言えば祈祷師先生が言っていた特徴にも当てはまる。
ってか、首がメッチャ長いって…もしかして龍だから?
それとも、まさかの…ろくろ首!?だったらイヤ~
…と個人的には、一人で勝手に納得していました。笑
霊感が強い者同士のコミュニケーションは、まるでBluetooth通信
ちなみに、この時に面白かったのが由來先生が肉眼で視ているであろう私の守護霊の姿が、まるでBluetoothの如く私の脳内にも(何となくですが)視えたのです!
なんと言うか「霊感という名の無線」で「感覚を接続して、映像や画像を共有している」とでも言うか。
こんな感じで霊感が強い者同士だと(波長が合う者同士もそうですが)「言葉」よりも先に「感覚」の方が早くお互いに伝わってくるのでコミュニケーションがラクだし、話が早いです。笑
上記の様に、なぜ視る人によって守護霊など霊体の姿形が異なるのか?
私の知識や経験から、ざっくりですが解説します!
信じている姿形が霊体=意識体の形を象る -視え方の違い-
浮遊霊や守護霊はもちろん、神霊・精霊・霊体(魂)・妖怪・天使・悪魔など、あらゆる思念や意識体=エネルギーを「どんな存在」として認識するかにより、人によって姿形が異なって視えるのだと私は感じています。
分かりやすく言うと「願望の現実化」と同じです。
「潜在意識レベルで本当にそう思っている、信じている姿形が霊体の形態を象る」という事です。
ただ、その思念や意識体の性質によって「象られやすい形態」はあります。
意識体の性質によって、象られやすい形の特徴
- 人間の意識体(生者なら思念や霊体。死者も基本は思念だが稀に魂の場合もある)は人型で視えやすい。
- 自然霊といった精霊の意識体は、動物や自然界に存在する何かしらの形で視えやすい。
自然霊とは人間に転生した事が無く、人間に馴染みが無い意識体。
ちなみに古代の人は、蛇みたいに細長い幻想的な雲の形を「龍」と信じていたらしい。 - 神霊の意識体(守護霊など)は、人間に転生した経験がある為、人型で表れる事も出来る。
人間時代の感覚が薄れている存在が多い為、意識体自身の性質や伝えたい内容に合わせて、龍や天使の姿はもちろん、何かしらのシンボルや、光の玉などの形態で表れる事もある。
脳内霊視タイプの私が、肉眼で意識体を視ると「光」な理由
ちなみに私の場合(肉眼で視える時)は「光」として視える事が多いです。
そう視える理由は、おそらく私が以下の様に認識しているからだと思います。
物質世界にしろ精神世界にしろ、人間や霊だろうと神や悪魔だろうと、この世(宇宙)に存在するあらゆるモノの根本は「光のエネルギー」だと私は思います。
なぜなら、この世(宇宙)は「※ビックバン」という「光の誕生から全てが始まっている」からです。
その「光のエネルギー」の中の一つが「意識」なのだと思います。
だから「意識」とは光の形態の一つに過ぎないのです。
(※ビックバンとは約138億年前に宇宙が誕生した瞬間に起きた大爆発。
「無」とは物質・空間・時間など、あらゆるエネルギーが存在しない状態を指す為、全ての根本は「無」ではない、と私は捉えています)
…ちょっと小難しい表現になりましたが、とにかく全ての存在の根本は「光」な訳で。
「根本が『光』なんだから、わざわざ姿形を作って表れなくても良くない?
ってか、姿形を作って表れる時は『その姿そのものに意味や目的がある』場合でしょ」
とリアリストの私は単純にそう思うんですよね~。笑
それに低級霊や悪魔だろうが、高級霊や天使だろうが、重要なのは「どう視えるか(どんな姿か)」ではなく「どんな性質(どんな中身)なのか」ではないでしょうか。
そして一番、視ないといけないのは…その存在が「何を目的としているか(なぜ現れたか)」だと私は思うのです。
私たち人間は肉体をまとって物質世界で生きているので、肉眼で見えるものに対して信じやすく惑わされやすい。
つまり視覚が弱点になりやすいですよね。
なので人間に害をなす意識体(例えば低級霊など)は、その弱点を突いて最初は神々しい姿で現れる事が多いです。
そんな時に心で感じた本心(例えば違和感など)よりも、視えたモノ(が一方的に言ってくる事)を、そのまま信じ込んでしまうと…自分の心の奥底にある欲望を彼らに利用されて傀儡と化してしまうわけです。
逆に言うと過剰な欲望を抱いていると彼らと繋がりやすいです。
そして自らの欲望が邪魔をして…善悪の分別や真理が分からなくなってしまう。
私は今までの鑑定活動を通して、こういう人達をたくさん見て来た経験もあって「霊の姿が視える霊視力」よりも「霊の本質を洞察する霊視力」の方が大事だと思い至りました。
なので人型の霊が視えなくても構わないし、オーラの色を視てから状態を推測するよりも、最初から霊感だけで状態を感じ取った方が手っ取り早いんじゃないか、とも思うのですよ。
(たまに霊が視える事を自慢する方がいますが、視えるだけじゃ意味が無いんです;)
きっと、こんな捉え方をする私だから、肉眼で視える場合は「光」として視える事が多いのかも知れません。
そして視えた時は「光の形や色そのもの」を視ようとするのではなく「光の性質や現れた理由・要因」を視る方に意識を向けています。
…それでは今日はこの辺で!
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